金栗四三の妻 春野スヤ|大河ドラマ『いだてん』と事実の違いは?

    金栗四三の妻、春野スヤ
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    2019年の大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」の主人公の一人といえば、日本人で始めてオリンピックに出場したマラソン選手・金栗四三です。

    この「マラソンの父」とも呼ばれ日本のスポーツ界の発展の礎を築いた金栗四三さんを、ずっと影で支えてきた人物がいます。

    それは綾瀬はるかさんが演じる四三の妻・春野スヤです。

    この日本スポーツ界の偉人を支え続けた春野スヤとは一体どのような女性だったのでしょうか。
    また二人の出会い、結婚生活はどのようなものだったのでしょうか。

    また大河ドラマの設定と事実と違う点を記しながら、詳しく紐解いていきたいと思います。

     

    目 次

    春野スヤと金栗四三の出会い

    二人の出会いを語るためには、まず金栗四三が養子へ行った話にさかのぼらなければなりません。

    四三さんは23歳の時(東京高等師範学校:現・筑波大学在学中)、熊本の実兄・金栗実次から一通の手紙をもらいます。
    それが、熊本県玉名郡小田村にある大地主の資産家・池部家に嫁いだ親戚(伯母の夫の妹)の池部幾江の養子にならないか、と言う文でした。

    (大河ドラマ『いだてん』では池部幾江役は大竹しのぶさんですね)

    池部幾江は早くに夫に先立たれ、また子どももいなかったため、四三を養子にしたいと四三の実の兄である金栗実次に頼みこみます。

    大河ドラマ『いだてん』では、春野スヤ(綾瀬はるか)は幾江の長男に嫁ぎましたが、事実は池部幾江には子供が居なかったので、春野スヤが金栗四三以外の人物に嫁いだということはフィクションであり、事実とは異なる脚本、ということですね。

    しかし、それを聞いた四三さんはまだ在学中。
    卒業試験の勉強やベルリンオリンピック制覇に向けて練習に必死になっていたときでした。

    それで「ずっと東京にいてマラソンに打ち込んでいいのなら」という条件を出し養子となりました。

    金栗四三の義母となった池辺幾江は喜び、次には四三の妻となる見合い相手を探し始めました。
    その相手が春野スヤです。

    スヤは同じ玉名郡の石抜き村に住む医者の一人娘で、明るく聡明な女性です。

    養母の幾江と兄の実次はスヤのことを大変気に入り、すぐにでもお見合いの場を設けたかったのですが、まだその頃は師範学校に通う学生であった四三は「学生の身では」という理由で一度お見合いを断ります。

    その後、兄からの話で、

    『相手のお嬢さん(春野スヤ)はとてもしっかりした人だ。俺の目に狂いはないから安心して任せて欲しい。それにお前のマラソンへの情熱についても非常な理解を持っている女性だ。卒業式が済んだらすぐ返ってきて会ってみなさい』

    ということでした。

    それから金栗四三は、大正3年(1914年)の3月に師範学校を卒業し東京高等師範学校研究科へ進学します。
    そして約束通り一時熊本に帰り、スヤとお見合いをしたのです。

    その時、四三がスヤに、今後は研究科に籍を沖、ベルリンオリンピックまではマラソンの精進を続ける旨を伝えたところ、出会う前から良く四三のことを知っていたスヤは、

    「あなたのご決心は十分理解しているつもりです」

    と毅然に語ったということです。

    そして彼女の理解を喜んだ四三とスヤは、よほど意気投合したのか惹かれあい、なんとお見合いの翌日に結婚式を挙げました。

    金栗四三は満22歳、スヤは満21歳の春でした。

    ちなみに「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のホームページでスヤさんは、「熊本の医者の娘で、村一番のハイカラなお嬢様。幼なじみの金栗に淡い思いを抱いていた。」と紹介されたり、『いだてん』第8話では、池部幾江の長男と祝言をあげていましたが、、

    事実は幼なじみではなく、金栗四三とはお見合い結婚だったのです。

    「四三の幼なじみ」というのはドラマオリジナルの設定で、この点が事実とは違う点です。

     

    スヤの孤独な結婚生活

    出会ってから1日でスピード結婚をした二人ですが、四三さんは結婚式を挙げてわずか5日後に東京に戻りマラソンの練習を再開しました。

    ハネムーンなどももちろんありませんでした。

    そこから約5年間、二人はずっと別居生活を続けます。
    スヤは熊本の実家で義母の池部幾江との二人きりの生活を続けたのです。

    いくら理解して結婚したとは言え、どれほど寂しく辛い5年だったでしょうか。

    しかし4,5日おきに届く四三からの手紙で夫と心を通わせ、夫のマラソンへの情熱を理解し、その寂しさと闘ったといいます。

    時折、スヤさんが東京の四三の下宿先に会いに行くことで夫婦の絆を深めていきました。

    また四三がアントワープオリンピック出場する際にはスヤさんも上京し遠征準備を手伝おうとしました。

    しかし四三は、

    「私は今、郷里も妻も忘れて祖国のために走ろうと思っている。気を散らさないでくれ」

    とすげなくスヤを追い返したそうです。

    アントワープオリンピック終了後、東京女子師範学校に勤務し、四三はスヤを東京に呼び寄せ二人で生活していくようになりました。

    そして金栗四三はパリオリンピックに出場し「途中棄権」という結果から、これを最後に引退します。

    家庭においては一男五女に恵まれました。

    競技生活から引退した四三は指導者として活躍していましたが、四三を内外ともに長年支え続けてくれた兄の実次が急性肺炎で亡くなり、これを機に二人は熊本へ戻り、義母 幾江さんと共に暮らし始めます。

     

    妻スヤの強さが分かるエピソード

    熊本へ戻った金栗四三は知人から「梨園を経営しないか」と話を持ちかけられました。

    その話に乗り気だった四三がスヤに話すと、

    「梨園とは何事です!四三さん、あなたはマラソン一筋に生き抜くが自分の務めだ、と言っていたじゃないですか!」

    と眉を逆立てて烈火のごとくスヤは怒ったそうです。

    この言葉を聞いた四三は顔を真っ赤にしてスヤに誤り、は知人の話を断りました。

    四三は自分以上に、自分のマラソンへ情熱を理解してくれていた妻スヤに対して頭が下がる思いだったと語っています。

    その後、日本全体、地元熊本のスポーツ進行や教育に力を入れた四三ですが、もしこの時スヤさんが梨園経営を受け入れていたら、日本のスポーツ界はここまで発展していなかったかもしれませんし、金栗四三は「マラソンの父」と呼ばれることもなかったでしょう。

    次に東京オリンピック開催が決まり、四三は嘉納治五郎さんに上京を命じられます。

    その時にスヤは「子どもがいるので私はすぐに着いていくことはできませんが、あなた一人でも先に上京し先生の手伝いをして下さい。子どものとこはなにも心配いりませんから」と言って四三さんを東京へ送り出しました。

    この時、二人には一男五女の六人の子どもがいました。

    六人の子どもを抱え、この言葉を言えるスヤはまさしく芯の強い女性だと言えるでしょう。

     

    まとめ

    別居生活から始まり、ずっと四三さんを陰で支えて六人の子どもを育て上げたスヤ。

    彼女こそまさしく、内助の功を身で示した強い女性ではないでしょうか。

    金栗四三さんがマラソンを続け、またスポーツ界を大きく発展させたのも妻・スヤさんの支えがあったからこそ成し遂げることができたといって過言ではないでしょう。

    この強く美しい女性スヤさんを綾瀬はるかさんはどのように演じるのでしょうか。

    宮藤官九郎脚本の2019年の大河ドラマ『いだてん』。

    主役から脇役まで、一人一人が生き生きと魅力的に描かれるに違いありません。

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