金栗四三杯とは?歴代受賞者と箱根駅伝を作った『いだてん』主人公

    金栗四三杯と歴代受賞者
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    新春の風物詩とも言われる箱根駅伝

    お正月の一大イベントとして、日本人なら誰もが知る関東の学生駅伝大会です。

    この箱根駅伝の第80回大会から、大会で最も活躍した選手(最優秀選手)に与えられる「金栗四三杯」の授与が始まりました。
    そして毎年この受賞者から、多くの世界的ランナーが排出されています。

    2019年箱根駅伝の金栗四三杯受賞者は、一体、どの大学のどの選手になるでしょうか?

    今回は、箱根駅伝の金栗四三杯について、そして、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』の主人公のモデルとなる金栗四三についても分かりやすく解説していきます。

     

    目 次

    金栗四三が箱根駅伝を作った経緯

    1月2日、3日の両日かけて東京大手町と箱根・芦ノ湖間の往復合計10区間(217.9Km)を競い合う箱根駅伝は、大学三大駅伝の一つです。

    大学 三大駅伝

    • 出雲駅伝
    • 全日本大学駅伝
    • 箱根駅伝

    中でも箱根は「男子学生長距離界最大の駅伝競走」となっています。

    近年ではこのような盛り上がりを見せる箱根駅伝ですが、この大会設立を呼びかけたのが、日本マラソン界の父、日本初のオリンピック選手である金栗四三でした。

    ストックホルムオリンピックに出場し、日本マラソン界の発展を常に考え、1916年(大正5年)以降は教職につきながらも様々なアイデアを打ち出しチャレンジしていった金栗四三。

    1917年には「東海道53次駅伝競走」の開催に尽力しました。

    これは「リレー形式でチーム対抗の長距離走をやってみよう。日本マラソン界を背負って立つ人材を一度にたくさん育成するには駅伝競走が最適だ」という四三の考えから、世界初の駅伝競走の開催となったのです。

    そして1920年(大正9年)の2月14,15日第一回の『箱根駅伝』が行われました。

    これは金栗が、「日本のマラソン界を更に強化していくためには大学生ランナーの強化が必要。大学対抗の駅伝レースを開いて、学生ランナーに刺激を与えたい」と考えたことが発端です。

    マラソンは過酷なスポーツです。

    チームの指導者にやれと言われて受身的に練習をしても続かない。強くならない。
    「走りたい」という思いを宿らせることが必要。
    大学の対抗戦、となれば、各校とも目的意識と責任感、チームの一体感、そうした気持ちが宿ることで練習の辛さも克服できる。

    それこそがマラソン界、学生長距離界のレベルアップに繋がるのではないか、と考えたからです。

    箱根駅伝大会を成功させるために、メディアの協力が必要だと考えた四三は積極的にメディアに働きかけ、報知社(報知新聞)の協力を経ることに成功し、第一回の開催が成功したのです。

     

     

    金栗四三とは

    熊本県玉名郡春富村(現:玉名市和水町)出身の金栗四三は、幼いときは身体が弱い子供でした。

    しかし、野山を駆け回り遊び、通学時は往復2里(約12キロ)の道のりを走って通学していたため、その「いだてん通学」で、体を鍛えていきます。

    そして東京高等師範学校(現:筑波大学)時代に校長・嘉納治五郎の元で頭角を現し、ストックホルムオリンピックのマラソン代表選手として出場を果たします。

    途中、熱中症で棄権してしまいますが、棄権届が出ていなかった事から保留扱いになり、1962年のストックホルムオリンピック50周年記念式典に(粋な計らいで)招待され、「54年8ヶ月6日5時間32分20秒3」という世界最遅のタイムを刻みゴールした、日本マラソン界のレジェンドです。

    性格はいつも穏やかで、誰に対しても柔らかい態度で接し、皆から「お釈迦様」と呼ばれていた人物でした。

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    箱根駅伝の最優秀選手に送られる金栗四三杯

    金栗四三が亡くなった現在も、その名前は箱根駅伝から消える事はありません。

    1983年(昭和58年)に92歳で金栗四三は他界しました。

    それから20年の時を経た2004年から、 金栗四三の功績を称える意味で「金栗四三杯」が設けられました。

    金栗四三杯は優勝大学から選ぶのではなく、箱根駅伝出場校の中の出場選手の中から1人、大会を通して1番活躍し、素晴らしい走りを見せた選手に与えられる賞です。

    この金栗四三杯のデザインですが、当時、金栗四三がストックホルムオリンピックの日本オリンピック予選会で優勝した際の優勝トロフィーをイメージした物になっており、なんとも趣のある杯になっております。

    歴代の金栗四三杯受賞者一覧

    「世界に通用するマラソンランナーを育成したい。」という金栗四三の強い願いが実を結び、この歴代の受賞者からは、多くの名ランナーが誕生しています。

    受賞回 受賞者 所属大学と区間 優勝校
    第1回(2004年) 鐘ヶ江幸治 筑波大 5区 駒沢大
    第2回(2005年) 今井正人 順天堂大 5区 駒沢大
    第3回(2006年) 今井正人 順天堂大 5区 亜細亜大
    第4回(2007年) 今井正人
    佐藤悠基
    順天堂大 5区
    東海大 1区
    順天堂大
    第5回(2008年) 篠藤敦 中央学院大 9区 駒沢大
    第6回(2009年) 柏原竜二 東海大 5区 東洋大
    第7回(2010年) 柏原竜二 東海大 5区 東洋大
    第8回(2011年) 村澤明伸 東海大 2区 早稲田大
    第9回(2012年) 柏原竜二 東洋大 5区 東洋大
    第10回(2013年) 服部翔大 日体大 5区 日体大
    第11回(2014年) 大津顕杜 東洋大 10区 東洋大
    第12回(2015年) 神野大地 青山学院大 5区 青山学院大
    第13回(2016年) 久保田和真 青山学院大 1区 青山学院大
    第14回(2017年) 秋山清仁 日体大 6区 青山学院大
    第15回(2018年) 林奎介 青山学院大 7区 青山学院大

    この中では、順天堂大の今井正人選手と、東洋大の柏原竜二選手が5区の山登りで会心の走りを見せて、過去3回という最多受賞をしています。

    また、過去の金栗四三杯の受賞者は、全員が区間賞を取ったランナーです。

    日本国民の期待を一身に背負ってストックホルムオリンピックで世界の強豪と闘った金栗四三のその精神を胸に、この選手たちは次世代のオリンピアンとして活躍していって欲しいですね。

     

    金栗足袋

    2020年の東京オリンピックを控え、盛り上がりを見せる現代のスポーツ社会。

    2019年は、金栗四三が主人公モデルとなった、NHKの大河「いだてん〜東京オリムピック噺〜」というオリンピックを題材にしたドラマか放送されます。

    売れっ子脚本家の宮藤官九郎が脚本を請け負い、知られざるマラソンの歴史、オリンピックの歴史を存分に表現した作品になっているのではないでしょうか。

    その中で登場予定の、金栗四三がマラソンの際に履いていたのがマラソン足袋です。

    金栗足袋

    ©玉名市役所

    これは長い距離を走ると破けることが多く、耐久性には問題がありました。

    そこで金栗四三はオリンピックに出場した後から、マラソン選手育成と同時に、速く走るための耐久性のあるマラソン足袋の開発改良に力を入れてきました。

    そして当時外国人選手が履いていたゴム底のスポーツシューズを真似た、ゴムソールのマラソン足袋を開発するなど、金栗四三のシューズ「金栗足袋」は常に進化を遂げていました。

    その32年後、金栗足袋は多くの選手を栄光へと導いたもの、足先が2本に分かれた足袋はキック力が分散すると言う科学的な証明がなされ、足袋型のシューズから、国内初のマラソンシューズである「カナクリシューズ」を製作し、多くの日本人選手がその金栗足袋、金栗シューズを履いて世界の大会で優秀な成績を収めることが出来、金栗四三は再び日本のマラソン界に貢献することになりました。

     

    まとめ

    金栗四三杯とは、日本人初のオリンピック出場、箱根駅伝創設開催、マラソンシューズの開発など、様々な分野で日本のマラソン史に貢献してきたマラソンの父・金栗四三の功績を称えるもの。

    2018年は、2月の設楽悠太のマラソン日本記録更新に始まり、10月にもまた、アメリカに拠点を置く大迫傑のさらなる日本記録更新と、男子マラソン界は大賑わいでした。

    オリンピックに置いては、これまでは女子マラソンが先駆けてメダルを獲得し続けてきましたが、ようやく男子マラソン界にも日本男子の時代が到来した気配がします。

    マラソンの父・金栗四三。

    東京オリンピックを前に盛り上がる日本選手の気運を、期待と喜びの目で天国から目を細めてみているに違いありません。

    ※追記

    2019年、第95回箱根駅伝・金栗四三杯は、22年ぶりに復路8区の区間記録を塗り変えた東海大小松陽平選手(3年)に決定しました。
    記録は1時間3分49秒の区間新記録。

    素晴らしい走りをありがとうございました。

    おめでとうございます!

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