金栗四三の子孫とペトレ家(ストックホルム)|世代を超えた美しき縁

    金栗四三の子孫とペトレ家
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    いだてん12話(3/24)で、ついにスタートしたストックホルムオリンピック、マラソン競技。

    金栗四三はスウェーデンの白夜、猛暑、数々のアクシデントも加わり、レース途中で熱中症となり、コースから外れてしまいました。

    その際に、四三を介抱してくれたのが、スウェーデンの一般家庭『ペトレ家』です。

    このペトレ家と金栗四三。
    そして、今も四三の故郷・熊本で生活される子孫の方々との不思議な縁について紹介したいと思います。

     

    目 次

    金栗四三とスウェーデン

    1912年のストックホルムオリンピック

    この1912年。

    スウェーデンのストックホルムで開催されたオリンピックでは、遠いアジアの国、日本からの選手団が来ることは大変注目されてました。

    そしてこのオリンピックで、スウェーデン人がどんな競技で優勝したからみな、記憶にありませんが、マラソン競技で日本人選手が行方不明になったことは誰もが知っている事実なのです。

    金栗四三はスウェーデンでも『ミッシング・ジャパニーズ』と言われ、今でも老若男女問わず、広く知られることになりました。

     

    介抱してくれたペトレ家

    ストックホルムオリンピック、マラソンレースの途中で、日射病によりコースを外れてしまった金栗四三。

    朦朧とした意識が混濁した中、林の中を彷徨います。

    そこで気がついたときには、ペトレ夫妻のお宅で解放されていました。

     

    気がつけば何処かのお宅に居たわけです。
    とてもいいご主人で、家族の方たちもフルーツや飲み物をくれたり、本当に親切にしていただきました。

    スウェーデンExpressenn紙(1967年3月20日)

    その金栗さんを介抱したのがストックホルムのペトレ家で、その後、この一家と長い交流が続いたのです。

    2019年の現在も、ペトレ夫妻のひ孫である、タチアナさんご一家はスウェーデンで日本との交流を続けておられます。

    ペトレ家の子孫のタチアナさんによると、手作りのラズベリージュースを飲み、四三は元気になっていったそうです。

     

    ストックホルムオリンピックから100年

    2012年のスウェーデンのストックホルムで、オリンピックの100年記念マラソン大会が行われました。

    なんとコースは100年前のマラソンコースと同じコース。

    政府は金栗さんの功績をたたえた顕彰銘板の除幕式を計画してくれました。
    顕彰銘板の除幕式は、現在、ソレンチューナ市立体育館が建設されているそうです。

    そこでスウェーデンから招待された日本人は、熊本県から金栗四三のひ孫に当たる蔵土義明さん(当時25歳)と玉名市長でした。

    ひ孫の義明さんは、当時四三が付けたゼッケンと同じ822番を付けたそうです。

     

    金栗四三の子孫とペトレ家の子孫

    2012年のストックホルムオリンピック100年記念マラソン大会では、金栗四三が倒れた復路の25キロ地点で、100年前の衣装にペトレ家子孫のタチアナさんが、金栗家子孫の蔵土さんを道ばたに設置されたテントに招き入れて、当時と同じようにラズベリージュースとシナモンロールのパンでもてなしました。

    「おいしかったです。ありがとうございます」

    と言って、蔵土さんは再び走り出したそうです。

    高低差のある距離の40キロを、蔵土さんは4時間25糞1秒という記録でゴールし、スタジアムでは大きな拍手で迎えられました。

    金栗四三の子孫とペトレ家

    ©玉名市役所

    その後もペトレ家と交流が続き、翌年の2013年にはペトレ家のご家族5人が訪日。

    タチアナさんの弟さんが東京マラソン2013年に参加し、その後に、熊本まで訪れられました。

    金栗四三の故郷、玉名市を訪れ、金栗四三のお墓参りをされたペトレ家のみなさん。

    マラソンの父と言われる金栗四三から始まった交流は、100年以上経った今でも、スウェーデンと日本の架け橋となる友情となって続いているのです。

     

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