X JAPAN

hideの素顔に隠された伝説エピソードの数々!これで更に惚れちまう!

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XJAPANのHIDE

X JAPANHIDEが急死してから、今年で20年。

2018年5月2日20回忌を向かえます。

1998年当時は、後追い自殺者が現れたり、築地本願寺前に5万人集結したり、追悼本が発売されたりと社会ニュースになりました。

XとX JAPANの歴史はHIDE無しで語ることは出来ません。

今回は、ギタリストとして伝説を残したHIDEの軌跡を語っていきたいと思います。

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HIDEの素顔
(プロフィール)

プロフィール

本 名:松本 秀人(まつもと ひでと)
誕生日:1964年12月13日(享年33歳)
出身地:神奈川県 横須賀市
学 歴:ハリウッド ビューティ専門学校 卒
愛 称:ひでちゃん

hideの美的感覚

小学生の時は、「医者になって見放された患者を助けたい!」と夢を語っていたhideは、中学生の時にKISSに影響を受け、ロックに目覚めます。

小さい頃は、おばあちゃん子で、その祖母の影響を多大に受けていたようです。

中学生のhideに、高級ギターGibsonを買い与えたのもこのおばあちゃん。

祖母は美容院を経営していて、若くて派手やかな女性でした。
なので、後のhideのビジュアル系ファッションの基礎となる感覚も、そのおばあちゃん譲りなのではないかと言われています。

Xとしてデビューした当時は、祖母からインドの民族衣装サリーをステージ衣装として借りていたこともあったそうです 😉

ハリウッドビューティー専門学校を卒業して、hideは実際に美容院で働いていました。

なのでこのhideの経歴を見ると、ウィジュアル系としてのメイク(化粧)や研ぎ澄まされたファンション感覚も頷けますよね?

メイクした顔でも丹精で美しいhideですが、素顔のすっぴんもお肌ツルッツルで、もうどれほど美しい顔立ちなんだ?と感じるのです。

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音楽の道へ

横須賀のどぶ板通りに出入りするようになった当初、そこで出会った不良達と組んだバンド サーベルタイガー(横須賀サーベルタイガー)。

そのバンドで活動していた1986年頃、hideが横浜でXのライブに訪れ、YOSHIKIと運命の出会いがあります。

そこで二人はすぐに意気。

YOSHIKIはhideをXに引き抜きたくて、サーベルのライブに行って、打ち上げで「hide、Xに入れ!」と叫びまくったそうです。

そしてサーベルが解散後、hideはYOSHIKIの猛勧誘によって1987年2月にXに加入します。

サーベルタイガーはインディーズで注目を浴びており、YOSHIKIも一目を置いていたそうです。

HIDEは後に、「YOSHIKIに誘われなかったらカリスマ美容師になっていた」と語っていました。

ここから、Xのリードギタリストとして、名を馳せていきます。

ファン思いのHIDEの素顔

HIDEはHIDEファンの少女、貴志真由子さんが、世界に二十数例にしかない難病に犯されたことをボランティア団体『メイク・ア・ウィッシュ』を通じて知りました。

マネージャーが手紙を読み、捨てようとした際にHIDEが「見せて」と言って、読んだ直後に面会を即座に承諾し、1995年大晦日のXJAPANライブに招待し、楽屋に招待したのです。

手紙を出したご両親は本当に感謝し、お姉さんや真由子さん本人も大感激していました。

入院を前にした真由子さんに、

『頑張ろうな』

と励まし、手紙を書くことを約束したHIDE。

それからもずっと交流が続き、真由子さんの病室に駆けつけたこともありました。

小学生の時の夢の『医者になって見放された患者を助けたい!』という言葉が思い起こされませんか?

HIDEは本当に情が深く、人としても本当に心温かい素晴らしい人なのです。

ここにもHIDEが没後20年経ったとしても、未だに多くのファンから想い慕われる所以があると思います。

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HIDEの功績と活動

「ギターの腕前は天才的だった上、常にバンド全体を冷静に見守る存在だった」と、先日のメディアのインタビューでYOSHIKIがhideを回想していました。

そして続けます。

「歌うギターを弾く、センスのかたまりでした。
特にXの初バラード曲『Endless Rain』は、hideのアルペジオやギターソロが光ってた。
バンドの全体像を一番よく見てて、『好きにやればいい。あとは俺が何とかする』という言葉に支えられました」と。

 

しかしHIDEの功績は、Xのギタリストだけに留まりません。

まずは、インディーズバンドからの発掘です。

HIDEが発掘したバンドとは、

  • LUNA SEA
  • GLAY
  • ZI:KILL
  • ZEPPET STORE
  • VINYL
  • TRANSTIC NERVE
    (現 defspiral)

とすごい面子です。

この中で、TRANSTIC NERVEだけは、直接HIDEと会えずじまいなのですが、HIDEが「あのバンドはすごい!プロデュースしたい!」と言っていた旨をメンバーに告げ、メンバーが感激していたとのことです。

今でも、HIDE追悼ライブなどでは、欠かさずTRANSTIC NERVEにYOSHIKIが声をかけ、出演しています。

hide with speread beaver

XそしてX JAPANの際には『HIDE』。

そしてソロ活動の際は『hide』と小文字表記で分けています。

そのhideを中心としたバンド hide with speread beaverのメンバーはD.I.E、Chirolyn、K.A.Z、hide、KIYOSHI、JOE、I.N.A.です。

1998年1月1日。

HIDEはなんと、X JAPANが解散した翌日に、朝日新聞の全面広告hide with spread beaver活動開始の広告を出しました。

筆者は当時、本当に驚かされたのを覚えています。

X JAPANが解散して、ファンもHIDE本人もどん底の中、こうした発表は本当にファンの希望であり、ファンを思う優しさに溢れています。

それからは積極的に様々な音楽番組にも出演し、元気な姿を見せていました。

「一刻も早く届けたかった」という想いが、解散から1ヶ月以内に発売されたという事、そして『ROCKET DIVE』の歌詞に表れています。

LEMONed

1996年、レコードレーベルLEMONed(レモネード)を設立したhide。

名前の由来は、英語のスラングである「LEMON(不良品)」に過去形の「ed」を付けて、「(過去は不良だった)」という意味が込められています。

音楽以外には、アパレルブランド LEMONed(レモネード)も、キュートで可愛いデザインが人気のショップとして、HIDEの死後の今でも様々な年代の女性に人気のショップです。

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HIDEの素顔と軌跡の本

『君のいない世界』
~hideと過ごした2486日間の軌跡~

hideの素顔を語る上で、欠かせない人物がいます。

それが、hide with Spread Beaverのメンバーであり、hideの盟友であり、且つ共同プロデューサー&プログラマー、X JAPANのサポートメンバーでもある音楽プロデューサーのI.N.A.(イナ)です。

このI.N.A.(イナ)が、hideの20回忌を前に、hideとの出会いと別れ、HIDEの素顔や人柄、音楽に対する姿勢、そしてこれからの未来を語った本が、2018年4月28日に出版されます。

それがこれです。

hide Memorial Day 2018

HIDEの20回忌、命日の5月2日に、川崎CLUB CITTA’献花式が行われました。

【献花受付開始】は13:00 から。
【献花受付終了】は20:00の予定。

献花引換券(お花一本/メモリアルフォトカード付き)で800円。
(※個人的なお花の持ち込みは出来ません)

当日入場時に引換(子供は無料ですが、お花が必要な子供さんは有料)でした。

当日はフィルムライブなどの公演はありませんでしたが、hideとの思い出をもう一度思い起こすために、今年も多くのファンが押し寄せました。

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まとめ

色々記憶に残ることをしてきたHIDEですが、ヴィジュアル系の名付け親との説もあります。

大島暁美さんのインタビューで「俺達、ヴィジュアル系だから」と答えたことが発祥と言われています。
(X のアルバムから「VISUAL SHOCK」の言葉から取ったという説もあります)

hideに魅了された人々は一般のファンだけでなく、数多くのアーティストも圧倒的なリスペクトを寄せ、多くの人々に慕われ、愛されているhide。

没後20年を経た今でもその人気は衰えることはありません。

今年の20回忌もHIDE追悼ライブが行われたり、X JAPANやLUNA SEA主催のイベントには、必ずHIDEは呼ばれています。

今なお、みんなの心に生き続けているHIDE。

これからもhideの音楽に触れていきたいですね。

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