なぜ、あんなにWANIMAの歌は心を打つのか?
ピアスにタトゥー、顎髭の似合うパッと見の風貌からは想像もつかないKENTAの綴る歌詞は、聴くものを勇気づける曲が多いですよね。
コーシンくんは無口ですが、時に発言はキテレツです。
しかしオールナイトニッポン0で健太が休んだ回では、リスナーの悩みに真面目に答えてくれて、弱い者にも寄り添ってくれる心が溢れていて、聴きながらジーンときてしまいました。
温かい二人の性格を考えると、どんな家庭に育ったのかな、と思った人も多いのでは?
今回は、そんな二人のプロフィールを見てみます。
コーシンの家庭環境
ギターのKO-SHINくんは4歳の時に、熊本県天草市倉岳町のKENTAの家の近くに引っ越してきます。
これがKENTAとの運命の出会いですね。
(左端ケンタ、右端が光真くん ↓ )
ケンに初めてあった4才の初夏。
セミの捕り方ば教えてくれた。誰も教えてくれんやった
カナブンとカブトムシ♀の
見分け方まで
ケンは細かく教えてくれた。みんなが口々におめでとうってお祝いするのを見て
ケンが嬉しそうにしとる姿には
またしみじみと趣があるなぁ。
— 西田光真bot (@ko_shin_bot) 2017年4月13日
これまでに、WANIMAのオールナイトニッポン0では、よくKENTAがコーシンくんの家庭環境を茶化した感じでいじっていますが、天草に引っ越してきた時点ではすでにお母さんは一緒ではなかったようです。
それ以来会ってはいないようですが、現在は55歳くらいだそうです。
実家はじいちゃん、マサコばあちゃん、コーシンくん、一つ年下の弟、そしてお父さん(同居?別居は不明)の5人家族。
家庭環境は厳しかったようですが、コーシンくんが小学生の頃、お父さんが建築関係(ショベルカー運転)の仕事をしながら、すっぽんの販売をしている時はちょっと裕福だった、と語っていました。(マスカットをこたつで食べれるくらい 😛 )
普段はおじいちゃんおばあちゃんがみかん園をされていて、夏みかんやグレープフルーツを作っていました。
KENTAはよく、コーシンくんの家庭環境をネタにしてイジります。
- KO-SHINが書いたサンタの絵が白黒だった(テレビが白黒テレビだったため)
- おせちを囲む正月は無かった
- 虫歯にコーンが詰まるほど大きな穴が空いていた
- アイスはいつもチューチューアイス(ポッキンアイス)だった
- カレーの中身は魚肉ソーセージとイノシシ肉。
ご飯が透けて見えるくらい薄いカレーだった。
などなど ^^;
時には母親の面影を求める発言とかもあったりするので、オールナイトニッポン0のリスナーは聴いて笑いながらもちょっと切なくなったりして。。。
高校卒業して18歳の時。
KENTAは上京を決意しますが、コーシン君は2つ年下の弟の高校の学費を納めるために陸上自衛隊に入隊し、自衛官を2年間経験します。
配属は北熊本駐屯地でした。
このことを考えると、お父さんも一緒に暮らしてはおられなかったのかもしれません。
2年の自衛隊を経験し、弟の高校卒業を機に、KENTAを追って上京するコーシン君でしたが、持参した荷物は友達から3,000円で買ったギターと布団のみだったそうです。
当時を思うと、今のWANIMAでの成功と活躍は、ファンならずともジーンと来ちゃいますね。
KENTAの両親はいるの?
コーシンくんの家庭環境は、KENTAがオールナイトニッポン0で頻繁にネタにするのでわかりますが、KENTA自身、母親については一切、語ったことがありません。
時折、お父さんとの思い出を面白おかしく語ることもありますが、多くはありません。
大好きな漁師だったじいちゃんの命日の歌『1106』は有名な話。
そして過去の武勇伝がスゴい「ハツエばあちゃん(94)」の話や、5歳年上の「ユカ姉ちゃん」の話はたまに出ますが、本人のお父さんお母さんの話は聞いたことがありませんね。
唯一、WANIMAのデビュー前の『マザー』というバラード曲は、KENTAのお母さんの事を歌った曲ではないかとファンの方が推測されています。
お正月のエピソードを話していた時、KENTAが、
「小さい頃は、熊本の赤酒とおせち料理を囲んだお正月だったけど、それも年々無くなっていった」
と笑いながらも呟いていました。
KENTAのインスタには、ハツエおばあちゃんとの写真もいくつもUPされているし、色んなメディアインタビューでも、育ててくれたおじいちゃんおばあちゃんを心の底から愛して想っている様子を語っていましたから、ご両親との一緒の生活は長くなかったのでしょうね。。
ハツエおばあちゃん、これからもKENTAの活躍をテレビで見続けてほしいですね。
FUJIくん家族と仲良し
熊本市内の中央区(旧大江)で整骨院を営むご両親の元で4人兄弟の次男として生まれたフジ君。
ツアーなどで熊本に帰省する際は、以前はフジ君ちにメンバー全員で泊まったりしていた様子が、WANIMAの公式インスタにもUPされています。
お父さんの栄一さんもKENTAの話のネタになっていたりもしますし、オールナイトニッポン0のコーナーでは、フジ君のお母さんのきみえさんに成りきって、WANIMAやラジオにダメ出しするコーナーの『きみえからの手紙』を持ったりと、WANIMAのオールナイトニッポン0への貢献度はスゴいです(笑)
ツアーなどあると、FUJI君のご両親や叔母さんは良く来られ、楽屋を訪問されるそうです。
その度に、
「WANIMAが生き甲斐。二人(KENTAとコーシン)には感謝しとる」
と言っているそうです。
なのに先日の放送ではKENTAが再びフジくんの家族をイジるので、フジくんが制止していましたが、最後にKENTAは
「フジくんのお母さんは、自分の母親みたいな感じですからね。僕とコーシンのお母さんだと思っとるけんね」
と笑っていました。
まとめ
以前、ANN0の企画案の話の中で、KENTAがふざけながらですが言っていました。
『いつも俺とコーシンは二人で夢見てきた。
味わったことのない幸せを。
味わったことのない温かい食卓をね!』
『テーブル一杯オードブル。
生まれて初めての囲んだことのない食卓を、そしていつかは温かい(団欒の)ご飯を食べたいな~、そんな日を夢見てきた』
と。
そんな家庭環境で小さい頃から苦労してきたKENTAとコーシンくんだからこそ、弱いものにも寄り添える。
不安な心、悲しい思いを理解できる。
歯を食いしばって頑張ってきた人生だったからこそ、人をも勇気づけることが出来る。
どんな峠も乗り越えてきたからこそ背中を押せる。
力いっぱい元気な歌を作ることが出来るのではないでしょうか。
それがWANIMAの歌の最大の魅力ですね。
これからもWANIMAは私達の人生を、前向きに、力強く元気づけてくれそうです。
そんなWANIMAをずっと応援していきたいですね。