みなさんはYOSHIKIという人物はご存知ですか?
X JAPANのリーダーであり、ドラムであり、日本の誇る世界的なミュージシャンなので当然ご存知かと思いますが、どんな性格であり、どんな人柄なのか知っていますか?
一言でいうと、完全完璧主義者であるのです。
まあ、音楽に対する変態という人もいますが 😉
昔のヤンチャな時代を考えれば、今現在の紳士的なYOSHIKIは全く別人のようではありますが、どれをとってもやはりYOSHIKIはYOSHIKIなのです。
そして、
『X JAPANのCDってやけにベストアルバム多くない?』
もしくは、
『アルバムからのシングルカットが多くない?』
と疑問に思う人が多いと思いますが、これも全部YOSHIKIの性格のせいなのです
本日はYOSHIKIの性格(人柄)をファン歴25年の筆者と解剖していきましょう。
YOSHIKIの素顔
プロフィール
生年月日:1965年11月20日
身 長:174cm
血液型:B型
出身地:千葉県 館山市
出身校:千葉県立 安房高校
現在の愛車:Aston Martin
幼少期からヴォーカルのTOSHIとは幼稚園はすみれ組時代からの同級生であり、11歳の時から一緒にバンドを結成します。
始めはToshlがギターで、他の同級生がボーカルだったのですが、途中で『しっくりこない』という事や、ボーカルの友人が校区整理で学校が離れたため、Toshlがボーカルとなります。
YOSHIKI曰く「なんとなくTOSHIをヴォーカルにしよう」と思ったところあんな美声の持ち主だったいうことです。(←え。。 (・_・;) そんな理由?)
その後、Xを結成し、後に世界進出を機にX JAPANへと改名します。
(アメリカに先にXというバンドが存在していたため)
YOSHIKIの性格
完璧主義者
結成から解散までの10年間、オリジナルアルバムの数は驚くことなかれ
たったの4枚。
(※AOLを含めると5枚)
これはYOSHIKIの作曲に対する思いというものが、他の人とは違い、ものすごくストイックなためです。
「(クラッシックの名曲のように)100年先にも残る曲を作る」というのがYOSHIKIの常に思っていることであり、曲が出来上がっても何度も何度も試行錯誤するのです。
そのために年月は過ぎ、何十年もレコーディングしていると、初期の音と現代の音にズレが生じてくるので、また過去のを撮り直したりして。。というのを繰り返しているようです。
そんな訳で中々新曲、新アルバムのリリースが無いのです。
実際にそんなわがまま許されるなんてさすがYOSHIKIだな、と思っていたら、許されていたわけではないそうです。
そのためにレコード会社は仕方なく、アルバムからシングルカットしたり、ベストアルバムを出したりして契約通りに枚数をこなしていたとのこと。
(それでも売れているところがさすがですよね)
そして再結成後の2016年に
『20年振りにアルバムリリースします!』
と宣言して以来2年が経ち、今年こそ22年振りにアルバムをリリースすると言っています。。。^^;
運命共同体のファン達は全員半信半疑ですが・・(笑)
こだわりが強い
そしてその強いこだわりのある性格は、曲作りのみならず、全てのものに反映しています。
- 出した曲を世に広めたい→レコード会社設立
- レンタルスタジオ代が高い→スタジオを購入
- 常にピアノを弾きたい→ホテル、楽屋にも運ぶ
- おいしいワインを飲みたい→ワインをプロデュース
- 世界進出を一旦やめた理由→どうしてもToshiの英語の発音に納得できなかったから
この考え方は本当にYOSHIKIならではであり、しかも全く妥協しないのです。
(でも、最期の理由は… Toshl… 可愛そうですね… ^^; )
わがままなの?ヤンチャなの?
YOSHIKI伝説の数々
X JAPANには数多くの伝説が存在しますが、YOSHIKI個人でも、これまで語り継がれてきた伝説(事件?)が存在します。
そのツートップがこちらです。
カレーが辛い事件
ライブの前日のリハーサル時に、お気に入りのカレー屋のカレーを食べたくて、頼んでいたのに別のカレーが準備されていた。
知らずに一気食いしたところ、あまりにも辛くて軽い貧血状態になり激怒。
そのままリハーサルせずに帰ったしまった事件です。
シャワーのお湯が熱すぎた事件
こちらは篠山紀信さんのスタジオで、撮影前にシャワーを浴びようとしたら、温度調節が壊れていたらしく、いくらひねっても熱いお湯しか出なかったとのこと。
そのせいで体半分、火傷のように真っ赤になり、これまた激怒。
紀信さんがスタジオ入りする前に、そのまま帰ってしまったとのこと。
なかなかぶっ飛んだ一面がありますね。
情が深い
慈善活動
YOSHIKIの活動は音楽活動以外にも他方に渡りますが、その中でもYOSHIKIの心を注ぐような活動が慈善活動です。
募金団体として自ら日米で『YOSHIKI FOUNDATION』(米国は公益法人として認定)を立ち上げて、そこを通じで多額の寄付を多方面に行っています。
四川大地震の被災した学校に音楽室をプレゼントしたり、東日本復興支援のチャリティライブやチャリティーオークション開催。
また2017年は、首の大手術の後でも全国各地でのディナーショーでチャリティーオークションを行い、ハリケーンで洪水被害に見舞われたテキサス州へ10万ドルの寄付をしたりと、そのチャリティ活動は数え切れません。
そしてYOSHIKIは気取ること無くインタビューに答えていました。
『あまりいい理由かどうかはわからないですけど。
こういう事をしていると自分も救われるんです。
世の中でためになっているという瞬間が存在すると、そこに自分が生きる、存在意義が有るような気がして』
身内や仲間の死に悲しみ、それを乗り越えてきたYOSHIKIの情の深い心の一部を垣間見るようです。
YOSHIKIファンが今もなお増え続けている理由がわかりますね。
家族思い
お父さんの自死後、『生と死』について考え悩み、自らも自死してしまいたいと思っていた事もあったYOSHIKI。
それを思いとどまらせたのが、お母さん、弟の存在でした。
1991年の初めての紅白出場の話が来た時。
当時はXとして売れに売れ、バリバリにとんがっていた当時だったので、『紅白出場』という選択に抵抗はなかったのかを番組で問われた時のYOSHIKIの答えは、
『話が来た時は嬉しかったですね。
ロック(異端児)としてやってきたので、こういう職業って身内、母親や親戚にはなかなか認められないじゃないですか。
だから、やったーって感じ。
お母さんに紅白出るよって言ったら、すごく喜んでくれて』(←YOSHIKI嬉しそう)
天皇陛下御即位十年奉祝曲という大役の依頼に悩んだ時も、相談したのはお母さんだったそう。
個人的には、YOSHIKIが「母」と言わず、「お母さん」と言うところに萌えましたね(笑)
YOSHIKIの結婚感
バラエティ番組で語っていた内容は、意外や意外?
『結婚願望は有り』
だそうです 🙂
好みのタイプは?と聞かれると、とりわけ特に無いそうですが、強いて言うならば『音楽に没頭している自分を理解してくれればいい』と。
「結婚して子供作って幸せな家庭を作りたい」
と語った、現在でも女性からモテモテのYOSHIKIですが、これだけ細かくこだわりの強い性格のYOSHIKIなので、やはり結婚までには至らないのでしょうか。
未だ現在も独身なのです。
まとめ
YOSHIKIの性格を分析したいと思って書き連ねましたが、背景には、やはり生まれ育った環境やお父さん、メンバー達の『死』という悲しみを乗り越えてきた壮絶な人生が深く影響しているのでしょう。
わがままと言われながら情が深く、ヤンチャで破天荒な反面、親孝行で真面目で『いい子』が混在している。
普通でありながら、本当にYOSHIKIの人柄には惹かれっぱなしです。
最近ではバラエティー番組での好感度と視聴率が高く、日本のテレビメディアでも引っ張りだこのYOSHIKIですが、2018年4月には復活10周年ライブを皮切りに、アメリカでのフェスの参加などライブ活動やソロの活動など、もうこれまでにも増してフル回転です。
首の状態も心配ですが、今年のX JAPANとの活躍を期待してやみません。
最期に YOSHIKI。。。
お願いだから今年こそアルバム出して下さい(笑)