X JAPANの初期メンバーであり、ずっとバンドを支え続けているPATAさん。
バンドに何が起ころうと、YOSHIKIに何が起ころうと、常に冷静に物事に立ち振る舞い、そしてYOSHIKIのやろうとしていること、やること全てにひたすら付いて行っています。
なかなかそんなに人のことを信頼することは難しいのですが、素晴らしいことですね。
そんなPATAさんを見ていきましょう。
XJAPANのPATA
プロフィール
本 名:石塚 智昭(いしづか ともあき)
誕生日:1965年11月4日
出身地:千葉県千葉市
血液型:B型
愛 称:石塚先生
他参加バンド:hide with Spread Beaver (1998年〜)、Dope HEADz
元々PATAはXのギターのヘルパーとしてレコーディングやライブに参加していましたが、ギタリスト脱退に伴い、正式に加入ということになりました。
メジャーデビュー時のメンバーであり、今なおバンドを支えています。
PATAはhideともとても仲がよく、hide with speread beaverのツアーやレコーディングにもよく参加していました。
2000年に新しいヴォーカルを見つけて、X JAPANを再結成させよう!とhideが言い出し、それに向けて活動していた矢先にhideが他界。
PATAもショックを隠しきれず、あれが本当にX JAPANの最後のライブになってしまった。‘
hideのトリビュートアルバム にhideのデモテープを使った曲「CELEBRATION」を提供したのにも非常にも、PATAのhideへの愛を感じます。
PATAの病気
PATAは実は、今でもギターを弾き、ライブで演奏していることが奇跡なくらい何度も危ないことがありました。
大腸憩室炎と門脈塞栓症を併発し入院。
YOSHIKIが涙ながらに発表していたところを見ると、かなり申告な状態だということがわかります。
筆者も、『またメンバーを失ってしまうのか…?』と不吉なことを考えようにはしていたものの、やはりかなり不安でした。
しかし入院から1年半後に、PATAは自身のフェースブックにて退院を報告してくれました。
このときの話ですが、実はPATAが入院した2ヶ月半後には、ウェンブリーアリーナ公演が控えてたのです。
(後に延期し、後に2017年に達成)
しかしなんと、PATAは、出る気でいたのです!
「俺はウェンブリーで死ぬ」と本気で言っていたそうです。
YOSHIKIが必死に説得し、延期となったのですが、なんという精神力なのでしょう。
hideが生前いつかやりたいと公言していたロックの聖地・ウェンブリーアリーナだったので、PATAとしては絶対に公演をしたかったのでしょう。
何よりhideの願いをかなえようとしていたのです。
YOSHIKIも分かっていたし自身もhideの夢をと思っていたので、ものすごい覚悟を持って延期スケジュールを立て、2017年に達成を遂げます。
ここでもPATAはYOSHIKIを信頼し、無茶を言うのをやめ治療に専念したそうです。
PATAのギターでバンドを支える
PATAのバンド内の役割はいわゆる屋台骨です。
音を感実に支えることにより、hideがフロントマンとしてのパフォーマンスを発揮していました。
やはりツインギターのバンドはかならず支える人、前に立つ人に別れるようです。
hideとの伝説の演奏
しかし 92年当時のライブでのSilent Jealousyでは、曲が速すぎてPATAもhideも一切動くことが出来ず、ひたすら目線をずっとギターを見ながら弾いていました。
それくらいの余裕のないスピードの演奏だったのです。
客の方を向くことなく、動くこともなく弾いているのでレコーディングのようでした。
PATAの現在
最近では、YOSHIKIが手術をし、『しばらくドラムは叩けない、むしろ医者からはもうドラムは叩けない』と言われている中でもPATAは、
「あいつは叩くよ。いや、叩けるようになる」
と言い続け、見事YOSHIKIは紅白歌合戦でドラム復帰を果たしました。
現在も尚、YOSHIKIを信じきり、一切の文句も言わずついてきているPATAさん。
YOSHIKIをあそこまで信じきるくらいなので、おそらくPATAも体が動かなくなるまでギターを引き続けるのだと思います。
一ファンとしては(ローリングストーンズのように)1年でも長く活動してほしいので、無理せずゆっくりなペースで活動してほしいものです。
横浜アリーナ6daysとかそんな無茶なことせず、間隔をあけてライブも行って行かれることを希望します 😉
(まあ、スケジュールを決めるのはYOSHIKIですが・・・・)