WANIMA(ワニマ)の勢いが止まらない!
熊本県出身の3ピースバンド WANIMA
飛ぶ鳥を落とす勢いとはまさしくこの事。
メロディアスなパンクに乗せて、ストレートな表現で胸を打つ歌詞。
あけすけなエロチックな歌とのバランスも絶妙で、弾けまくるライブパフォーマンス。
そんなWANIMAにハマっている人、増殖中。
メジャー移籍から年末の紅白出場と、もうノリにノリまくっているWANIMAですが、やっぱり惹かれるのはそのメンバーのKENTA(ケンタ)、KO-SHIN(コーシン)そしてドラムのFUJI(フジ)くんの3人の面々の屈託のない性格と、独特なキャラクターじゃないでしょうか?
そんなWANIMAメンバー3人のプロフィールを、どこよりも詳しく紹介していきたいと思います。
WANIMAメンバー紹介!年齢や身長、結婚はしてる?
KENTA(ケンタ)ボーカル
プロフィール
担 当:ベース&ボーカル
誕生日:1988年4月13日
血液型:O型
出身地:熊本県天草市倉岳町
出身校:天草市立倉岳中学校
(平成15年熊本県中体連では陸上短距離100mで決勝出場)
(中学時代はサッカー部主将)
:熊本県立天草高校 倉岳校
兄 弟:5つ上の姉ひとり
影響を受けたバンド:餓鬼レンジャー
好きな食べ物:果物(動物園の動物より食べるそう)
嫌いな食べ物:ネギ、ニンニク
KENTAの性格や好み
- 好きな女の子のタイプ:内臓がキレイな子(←ツイッターのプロフより)
(以前は「タバコを吸わないショートで巨乳な京都の子」と言っていた)
- 自称匂いフェチ:シャンプーや柔軟剤、芳香剤や香水などにこだわりがあるそう。
(星野源さんがANNで『WANIMAの皆さんはいつもいい香りがする』と言っていました。その他、様々なアーティストの方が「WANIMAはいい香りがする」と発言しています。 KENTAの香りでしょうか?) - 恐ろしいほどの潔癖症:とにかく綺麗好き。
(コーシンくんがKENTAの家に遊びに行っても、風呂場で足を洗って、きれいな靴下に履き替えないと部屋に上げてもらえなかったそう)
幼少期のエピソード
4歳の時からずっと一緒の幼馴染はギターのKO-SHIN(コーシン)くん。
(同級生だけど、誕生日からすると健太と3月生まれの光真はほとんど丸1歳離れています)
コーシン君の家とは走れば2~30秒程で着くくらいの距離で、学校から帰ってきたらケンタの家でコーシン君が先に夕食を食べていたりしていたそうです 😛
家庭の事情が複雑だったコーシンくんと、それはそれは、兄妹以上に仲良くしてきたKENTAでした。
高校に入ってからは 熊本市内でやってたバンドコンテストで熊本地区予選や九州予選などで優勝し、音楽の道に進むことを決意。
ケンタの熊本での話を聞くと、ホントじいちゃんばあちゃん子なんだなあ、感じます。
おじいちゃんとおばあちゃんが大好きなんですよね。
漁師だったおじいちゃんは他界(『1106』はおじいちゃんの命日を歌った曲)。
天草に残るハツエばあちゃんと一緒に仲良く写る写真をインスタやツイッターによくUPしています。
(※しかし、昨年のWANIMAのライブステージ上で、ハツエおばあちゃんらしき写真がアンプの上に飾られているのを見かけました。。もしかしたら、、かもしれません)
そんな大好きなおじいちゃんおばあちゃんと暮らしてきて、今の健太の屈託の無さがあるのだろうか、と感じますね。
KENTAの笑顔
いつも屈託なく笑うKENTAの笑顔はサイコーですよね。
見ているこちらもついつい笑顔になってしまうくらいです。
WANIMAの楽曲は全てケンタの作詞作曲ですが、その曲はメロディアスなパンクで、何より聴くものの心を打つ歌詞に共感する若者が沢山です。
以前、アルバム『Are you coming?』の発売インタビューの際、KENTAはこう答えています。
(インタビュアー):(KENTAの性格について)突き抜けて明るい人というのはやっぱり、何かの裏返しのように思えますが。
(KENTA): やっぱ、今まで出会ってきた人のなかで、すごくつらい思いをしてきた人ほど、よく笑ってたんです。そういうのに小さいころから憧れをもっていたんですよね。
いつも笑っているのに、後から「あの人は本当はこうだったんだよ」って聞かされたりして。そういう人になりたいなっていうのは常に思ってます。
様々な家庭の事情を超え、18歳で大切な人たちと別れ上京。
悲壮なる決意をして降り立った東京で、沢山の苦労をしながら故郷を思って作った曲の歌詞を一つ一つ紐解くと、そんなKENTAの優しさと強さが感じることが出来るようです。
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KO-SHIN(コーシン)(ギター)
プロフィール
担 当:ギター&コーラス
誕生日:1989年3月30日(29歳)
出身地:熊本県天草市倉岳町
出身校:熊本県立天草高校 倉岳校(高校時代はサッカー部主将)
職 歴:自衛官(北熊本駐屯地に2年)
兄 弟:2つ年下の弟が一人
好きな芸能人:西野カナ、新垣結衣、関ジャニ∞
(関ジャニの安田くんとは相思相愛の仲)
影響受けたバンド:Hi-STANDARD、MONGOL800
コーシンのエピソード
高校卒業後は、厳しい家庭の事情で弟が高校を卒業するまで経済援助のために自衛隊に就職を決める。
弟の卒業を機に、友人から3000円で買ったギターと布団だけを持って上京(涙)。
コーシンくんの無口過ぎる性格
そんな光真くんは、
喋らない。
大体、インタビューの際はケンタかフジくんかが答えてるんだけど、コーシンくんは大抵黙っていて
手遊び。
ある朝、KENTAが家を出る時、隣人から「オールナイトニッポン0聴きましたよ^^」と声をかけられたらしい。
そしてその人は続けて、
「あれ? WANIMAさんって2人でしたっけ??」
と聞いてきたそう・・・。
それくらい本当に喋らないコーシン君。
なのに、オールナイトニッポン0では頻繁に「back number先輩より星野源先輩のほうが好き」とぶっ込んでくる勇気はある。
ケンタの5つ上のお姉ちゃんから(許可を得て)パンツをもらった経験あり(←ガチ)
あと、顔が宮川大輔にちょっと似てる気も。。
2018年1月9日のWANIMAのオールナイトニッポン0では、KENTAが発熱のために欠席しました。
コーシンくんとFUJI君の二人でパーソナリティを務めたのですが、その時のコーシンくんの
饒舌なこと!
KENTAがいないので、「自由だ~~!!」を連呼していました。
いつもケンタが側にいるので、遠慮したり頼ったり、静止されたりして無口になっているのかもしれませんね。
コーシン君は喋ろうと思えば、かなり楽しそうに話し出来るんだ、と感じたひとときでした。
無口で寡黙な光真くん故、大抵の写真や映像には変顔で写ったりしていますが、ライブの時、本当に嬉しそうにニコニコしながら観客席を見渡して演奏している
コーシンくんの笑顔は最高です^^
ドラム FUJI(フジくん)
プロフィール
担 当:ドラム&コーラス
誕生日:1986年8月8日(30歳)
出身地:熊本市中央区大江
出身校:九州学院高校
(一つ下の後輩には、高良健吾さんがいます)
兄 弟:男4人兄弟の三男
好きな芸能人:長渕剛
ものまねレパートリー:長渕剛、松山千春、福山雅治、西田敏行など
(かなりクオリティが高い↑)
好きな女性のタイプ:小柄な子
嫌いな食べ物:野菜
MYドラムの名前:テリヤキキャンディー(命名KENTA)
エピソード
小6の卒業文集では将来の夢を「ドラマーになりたい」って書いていたそう。
高校卒業後は美容師になりたいとか色々と夢はあったけれど、やっぱり音楽の道を捨てきれず18歳で上京。
周りに知り合いが1人もいないから、自分からいろんなところに飛び込んでドラムを叩いていたけれど、藤くんが行く所行く所、そのバンドは活動休止になったり解散になったりして、付いたあだ名は
「クラッシャー藤原」
10組目くらいのバンドが活動休止になったのをいい機会に、もう音楽辞めて実家に帰って就職しようかと思っていた矢先にKENTAとKO-SHINとの運命の出会いがあります。
パーソナリティを務めるオールナイトニッポン0では、リスナーが、藤くんのお母さんになりきってメンバーへダメ出しする『きみえからの手紙』が好評で、地元熊本で(スザンヌのおばあちゃんも通う)整骨院を営むお父さんは、WANIMAのTシャツを来てライブ参戦するほど熱心なWANIMAファン。
KENTAのインスタにはフジ君の実家に泊まった時の写真がUPされ、フジ君のお父さんも登場したりして藤原家は家族や親戚ぐるみでWANIMAを盛り上げている模様です。
WANIMAメンバーの脱退と結成
KENTAとコーシンは4歳の時からの幼馴染で、中学の文化祭に出たくてバンドを組む。
(結果は大コケだったとか)
当時はロードオブメジャーやMONGOL800などの曲をコピーして、地元天草の祭りとかでも演奏していたそうです。
(それを聴いていた天草の人達って超・貴重ですよね?羨ましい)
それからドラムは蓮田裕也(ハスダユウヤ)君という(ガタイのいい)伝説の友人が担当していました。
ケンタが学校の皆に無視されているに「俺がついとるけん、皆から無視されてもええやろ」と助けてくれたようないい奴、蓮田君 😥 。
倉岳の夜道を、タイマツを持って自転車で徘徊していた蓮田くん。。
そんな伝説の数々を持つハスダ君の頭文字HAと、コーシンの名字の西田のNI、KENTAの名字の松本のMAをとって『HANIMA』というバンド名で地元熊本で活動していました。
その時の写真がこちら ↓
当時から九州のバンド大会では準優勝したりして、注目されていたHANIMA。
KENTAが初めて作詞作曲した歌のタイトルは『幸』だそう。
KENTAの見た目ははっちゃけていても、心は純粋な高校生だったんです。
2006年
高校卒業を機に、HANIMAメンバーはそれぞれの道を選び解散。
2010年
KENTAが上京した2年後の2008年に、自衛隊を退役したコーシンが上京し、2010年にワキタ君というドラム奏者と出会います。 ワキ君の頭文字WAをとって、『WANIMA』で活動を開始!
2012年
しかし2年後の2012年8月。 ドラムのワキ君が脱退し、新たなドラム探しが始まります。
4歳からずっと一緒という、強烈な個性の熊本出身の幼馴染KENTAとコーシンくん。
そんな二人の仲で出来上がるグルーヴに割って入れるドラマー、且つ、二人の「夢を諦めて熊本に帰ることは出来ない、後戻りはできない」という音楽に対する熱い決意に重なり合うドラマーとはなかなか出会えなかったそう。
運命のドラマーと出会うために、ネットで探したり、ライブハウスのメンバー応募の張り紙に電話したり、色んな知人に紹介されたりして、ワキ君脱退後の 2年位の間に約50人位のドラマーとセッションを試しています。
そしてようやく
FUJIくんと運命的な出会いが!
ドラム FUJIくんとの出会い
またもや独り身となってしまった藤君に、下北のライブハウスの店長さんから
「いいバンドがいるんだけど(一旦入った)ドラムが抜けちゃうんだよね。暇だったら叩いてみない?」
と声をかけられて、WANIMAのライブを見に行ったフジくん。
それからすぐに加入が決まり、トントン拍子にCDデビューも決まり、今まで突っ走ってこれたそうです。
沢山のバンドマンの中で、同じ熊本出身で、且つグルーヴの合うドラマーと出会える確率なんて、そうそう無いですよね?
このFUJIくんとの劇的な出会いが、今こうして私達がWANIMAの音楽に触れることが出来るキッカケになったと思うと
感 動。
2つ年下のKENTAから、「デブ」だの「豚」だの「後加入」だの、フジくん母・きみえさんが気分を害するくらいイジられても、それをおおらかな気持ちで突っ込んだり返したりするフジくん。
でもこの健太のイジりもフジくんへの愛があるゆえでしょう。
ケンタの絶妙のボケや際どいトークも、ニコニコうまく突っ込んでくれるフジくんが居てくれるから、WANIMAのトークはやっぱり面白い。
これからもこのまま、このWANIMA3人で、歌にトークに日本中を盛り上げて元気づけていって欲しいですね!
まとめ
近年はメジャーに移籍、紅白出場と、大きな節目の年だったに違いないWANIMA。
これからも更にWANIMAが更に大きく飛躍して、これまでよりもっと多くの人達を応援して元気を与えてくれるアーティストになっていくこと間違い無し。
今年も
突っ走るWANIMAと
ともに!